戦争で壊滅的打撃を受けた青函連絡船だったが、辛うじて生き残った老朽船の置き換えに待望の新造船が投入された。重厚な木造客室の格調は無くなったが、バウスラスターや揺れ防止装置を装備した最新鋭の船は美しくて快適だった。
進駐軍は、専用客車ごと船に載せて運んだが、通常は貨物車両だけ乗船客と一緒に
航送した。終戦直後に日本最大の海難事故となった洞爺丸事件があったが、当時の貧弱な気象観測態勢が、高速で走る台風の進路と通過時間を正確に把握出来なかった事による誤報が船長の判断を狂わした。
この新造船は、まだ人々の記憶に残っていた不安を一掃するに充分な立派な船だった。