semai92117’s diary

想い出の記録 掲載写真の著作権を留保しますので無断転用はお断りです

羽幌駅 1967年

当時はぼろと言えば家庭用石炭や練炭の代名詞として、誰でも知っていた。因みに練炭と言うのは、石炭の粉を練った太い棒に幾つも通気用の穴を開けた燃料で七輪や専用の火鉢のような物に入れ暖房器代わりにもなった。長時間燃える代わりに一酸化炭素中毒

事故が起きやすく、建付けの悪い一軒家からコンクリのアパートに越した途端に中毒で

ひっくり返った記憶がある。

北海道と言えば九州と並んで石炭の産地。財閥系ばかりの九州と違い、伝統ある地場企業の北炭が幅を利かせていた。相次ぐ炭鉱閉山の時期と重なり、各地の炭鉱鉄道を訪ね歩いたが、最盛期を知らず末期の荒れ果てた姿が目に焼き付いている。

オロロン鳥が見られる観光地、天売島や焼尻島へ渡る苫前港がすぐ近くなのに、留萌から宗谷本線幌延までの長大な沿岸区間が廃止されてしまった。

この区間、冬季は地吹雪の多発地帯で、ほぼ毎年車の中で死亡する事故が発生してる。

厳冬の北海道は、車での移動は現代でも命がけなのである。

採算性の為に膨大な鉄路が既に廃止されてしまったが、安全、安心な交通手段は現代でも鉄道だと言う事、一旦廃止した鉄道を再び敷設する事は莫大な費用が掛かる事を

多くの人に知ってもらいたいと思う。

f:id:semai92:20160717095952j:plain