特急がっかり号 1960年
1960年12月日本初の特急専用ディーゼル車が東北線で走りだした。殆どの区間が非電化線で蒸気機関車が客車を牽引して走っていた特急はつかり号が気動車になり、時間が短縮されたばかりでなく、ばい煙で顔が黒くなる悩みも解消され、女性客には大変喜ばれた。
何故がっかり号なのか。実家が東北の先生が、「少しでも早く両親の顔が見たいと、早くから並んで、やっと手に入れた切符で乗車したら、故障で大幅に遅れる事態が頻発した為、沿線住民の間で、がっかり号と呼ばれているのを記者が聞きつけて、記事のタイトルにした事が発端だ」と教えてくれた。
初物の機械には初期故障がつきもので、その後はトラブルも無く快調に走り、奥羽線、羽越線、常磐線と東北地区で活躍した後紀勢線で使われ引退した。
その縁で、今は京都に移転した大阪交通科学館に特徴ある先頭車が長らく展示されていた。国鉄は初期故障がよほど堪えたのか、量産されず、後継型が大量生産され、全国の非電化区間を走る特急気動車の標準として、地方幹線特急の代表的存在となった。