semai92117’s diary

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準急はるな

1964年に東海道新幹線が走りだして、それまでの在来線の長距離急行が大幅に減少した。世界銀行から多額の借金をして作った新幹線に旅客を誘導する為の思い切った削減だった。運用から外れた余剰車両を使って、各地の観光地へ今風に言うとリゾート列車が走りだした。準急はるなも、その仲間で、榛名湖方面への観光客輸送を当て込んだ列車だった。車両は急行列車用を使って少しでも安く運んでやろうと、準急になった。

現在のJR各線に準急は走っていないが、当時は準急全盛期で各地で走っていた。中には同じ路線を走る急行列車より表定速度が早い列車もあって、知る人ぞ知る格安列車だった。

列車の種別名称は、狭い日本なのに統一性が無くて、国鉄、私鉄ともに好き勝手に名称をつけている事が、何と延々と現在まで続いている悪弊で、その土地不案内な旅行者にとっては、混乱や誤乗の元凶となっている。何故鉄道会社は放置してるのか、理解に苦しむ。特に乗客に対するサービス心が日本一と思われる関西の私鉄でも様々な名前を使っているのは、誠に不思議。

東京地区でも特急、準特急快速特急快速急行通勤特急から始まって、急行にも種々名前のついた急行があり、準急にも及んでいて、もう何がなんだか意味不明。

関西の国鉄も何を考えたのか「新快速」東京は「特別快速」、もういい加減にしてくれ

そんなに覚えきれない。せめて、列車種別毎の停車駅が表記された車内掲示の図と字を

もっと大きくひと目で分るように表記して欲しい。その為に乗り越した事は一度や二度では無い。そんな時は乗り越し料金なぞ払いたくないと腹立ちまぎれに思うのだが。

先に紹介した内田百閒の阿房列車では、特急は東海道等の大幹線だけで、急行が最高。地方線では急行すら無くて準急まで。その代わり、普通列車の中に長距離走る普通は、一部の駅を通過したりしたらしい。それはそれで、極めて紛らわしい。普通列車と各駅停車は意味が違うと言う事が良く分かる話が出ていた。

どうも鉄道会社は、気まぐれで乗客を混乱に陥れる事を途切れる事無く続けているようだ。乗客は罠にはまらぬようご用心と言う事。

 

1965年10月1日 上野駅にて