semai92117’s diary

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布原信号所 1968年

国鉄の動力近代化計画が進捗し、各地で電化工事やディーゼル化(無煙化)が進んで来た事で、蒸気機関車が消えるニュースが各地で報道された。それを契機として、各地でお別れイベント等が催され、SLというメディア造語が出来、それに釣られて俄撮り鉄も増えてきた。

それを当て込んだ訳でも無いのだろうが、伯備線と言う中国地方のローカル線で三重連が運転されているとの情報があった。国鉄の組織は主要区分として管理局があり、局内の要衝地に機関区が設けられていた。機関車は機関区に所属して仕業を担当していた為、ダイヤによっては所属機関区へ戻る「回送」が生じる。

空でただ戻る事は無駄なのだが、どうしても往復セットと言う訳に行かない。そこで、回送を兼ねて牽引定数一杯の重量列車の補助(補機)をしながら戻る事が行われていた。布原の三重連は、この回送兼用のもので時流に乗った話題作りが推測される程貨物量の少ない路線だった。

それでも、釣られて遠路はるばる東京から出掛けたが、行ってみると周辺のあちこちに

マムシ注意の看板が立っていて同好の先人達が被害に遭ったのだろうと思うと、気味が悪かった。

後で調べたら、中国地方中部の山間地域は本当にマムシの産地と言えるほど被害も多くて病院も無いから命を落とす人も多い事が分かり、以後草の繁った道を歩く時は足元をよく見て歩くようになった。

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1968年3月布原にて