semai92117’s diary

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蒸気機関士

現代では鉄道車両を運転する人は運転士と呼称しているが、私が撮り鉄してる時代には、機関車とディーゼル車を運転する人は機関士、電車は運転士と言っていた記憶がある。蒸気機関車は、走行を機関士が担当して、給炭をはじめとするその他一切を助手が担当して、二人で一組になって乗務していた。機関士になる為には雑役から始まって整備係を経験し試験に通って助手になって、やっと乗務勤務に就ける。

でも、ここからが正念場で、配属された担当区間で、どこでどの程度石炭をくべるのか、給水の状態はどこで確認するのか等々線区の特徴に合わせて順調にダイヤ通り走れる状態を作り出す術を会得する事が求められる。機関士ごとの癖もあるだろう。

定められた駅では、給炭と給水を受けるが自分も炭水車に上がって、積まれた石炭を走行中に給炭し易いように整備もする。更にそれまでに焚べた多量の石炭の燃え殻を落として、燃焼効率が上がるように火床を整備する。これらの作業を与えられた停車時間内に完了させなくてはならない。

これを担当区間区間に亘って行うのだから、現代風に言えば正に激務である。

夏場は暑気に加えてボイラと石炭の灼熱の前で乗務するし、冬には炭水車との間の開けた空間から冷気が吹き抜ける。長いトンネルの上り坂では、窒息しても給炭の手を止められないから命がけの業務でもあった。

実際に助手だけでなく機関士も気絶した事例が記録に残されているから本当に過酷な任務だった。見た目には颯爽とかっこ良く見えるが、現場は毎日が地獄と言っても良いほどきつかっただろう。

助手の経験を経て試験に合格してやっと、機関士になるから、殆どの人は助手の仕事を手伝える時には一緒にする。そうして、チームワークが出来上がると言う。

厳しい仕事だけど、お互いが息を合わせて安全運行を達成し、それを絶えず積み上げて行くのが、蒸気機関車の機関士・機関助手の日常なのだ。

現代の自動化された車両には無い、独特の思い入れがあるのは、仕事のきつさに加えて相棒との一致協力でやり遂げる達成感が、便利で楽な任務と違った快感として味わえるからなのだろうと勝手に想像している。

改めて、写真を撮らせて下さった皆さんに感謝して、想い出の記録とする。

 

機関士は走行に専念

 

ヘルメットの駅員と一緒に炭水車へ石炭の積み込み作業

 

ほっと一息。つかの間の休憩