semai92117’s diary

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炭礦鉄道

つい先日全く偶然にBS放送で1997年に放送された夕張地区の炭礦鉄道の跡地を巡って歴史を振り返る番組が再放送されたのを見かけた。

最晩年の宮脇俊三氏が出演されていて驚いた。

廃止され既に相当の年月が経ち付近の様子も変貌を遂げているが、往時の記録と遺産をしっかり残している会社もあれば、廃墟に近い状態のままに放置されている所もあって、過去の歴史に向き合う姿勢の違いの落差が大きい事にも驚かされた。

人間でも何でも形ある物には必ず過去が存在し、その結果として今がある。過去ばかり振り返っても先は見通せないからと言っても過去を捨て去る事は不可能なのだから、大事にして欲しいと願わずにはいられない。

私が訪ねた頃は既に生産効率の悪い炭礦から廃山が始まっていて、閉山に向けて縮小を続けている時だったから、線路も車両も荒廃しかけていた。

元々炭礦鉄道の主役は産出した石炭の輸送で、人間は労働力である従業員の移動に便宜を図る事が第二の目的で、その他の乗客はついでに運ぶと言う事だと理解していたけれど、放送を見ると沿線の桜が見頃の時期には相当の行楽客を運んだ実績があった事を知った。

夕張地区には大夕張、夕張、真谷地と3つの炭礦があったと記憶してる。

いずれも最終的には国鉄に渡して積出し港まで運んで貰う為、接続駅までの短い路線と思い込んでいた。

ところが、放送で知った事だけど、室蘭港への積出しだけでなく、小樽港からの積出しの為にはるばる函館本線の野幌まで自社で路線を建設していたのだった。

推測だけれど、函館本線岩見沢から夕張への分岐駅である追分を経由して苫小牧、室蘭へ積み出す以前から小樽港からの積出しはあったのではないか。こちらの方が古かったのではないかと思う。夕張から室蘭本線の栗山駅を経由して函館本線野幌駅までのルートは最短で国鉄に合流できるルートで、今現在でも夕張へ行くには、もし残されていれば極めて便利に使える路線だと思う。

有数の炭鉱があった夕張は、大都市札幌から直線距離ではたいした事の無い距離だが鉄道では正に山間の僻地で特に閉山後は訪れるのも一苦労の地域だった。

石勝線が開通して釧路、帯広方面への大動脈として夕張の目と鼻の先をかすめて通っているのだけれど、夕張へ向かう列車は皆無。途中の接続も無いまま廃止されてしまった。

かつては日本の産業と生活を支えた石炭。その過去を荒廃した廃墟でしか知る事ができない事は誠に情けない限り。

夕張市は破産した町として極貧の中で僅かな職員が爪に灯を燈すような努力を日々続けている。私一人の力では如何ともできないけれど、何とか後世の若者達の為にも社会への貢献著しかった町の栄光の歴史を整備された環境で残しておきたいと願っている。

英国人は過去の歴史遺産を美しく残し守り続ける名人だ。庭園でも廃線にされた鉄道でも有志が基金を集めて、多くのボランティアの手で最盛期の美しさを保って永年に渡り維持管理され、人々は自分達も楽しみながら子供たちに体験させている。誠に羨ましい限り。

サッチャーの時代に手厚い社会補償財政が破綻し、高齢化が進む社会はそれほど豊かではないと思うのだけれど、日本人とはお金の使い方が違うのだろう。

グルメやプチ贅沢や自分へのご褒美も結構だけれど、こう言う使い方にも賛同する人が増えてくれると良いのだけれど、何とかならないものかな。

 

 

北炭真谷地で 当時でも古典型のD型機関車

 

大夕張で 空の石炭車を炭山へ戻す混合列車

 

大夕張 廃車になった名物E型(5軸)タンク機関車 何となく物悲しい雰囲気だった