semai92117’s diary

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食堂車

新幹線網が拡大して鉄道の旅と言っても四時間乗ると言ったら、現代人の多数は飛行機で行けないかと考えるようになった。羽田と伊丹路線は今でも混雑していて三時間足らずでも空路を選ぶ人が多い事を物語っている。なにかと気ぜわしい時代になった。

1970年代には九州方面へ出かける人の殆どは24時間近く列車に乗って移動した。

幾ら節約したくても、3食弁当を持ち込む事は不可能だし何が入ってるか分からぬ幕の内弁当を買い求めるのも面倒と言う事で数少ない特急は勿論、長距離の急行列車には食堂車を繋いでいた。

酒飲みの父のおかげで、幼児の頃に連れて行って貰った記憶がうっすらと残っていて、何となく憧れの存在だった。

と言うのは、1972年に発生した北陸トンネンル事故では、火元が食堂車だった事から、原因究明の初期段階で発火源が石炭コンロではないかとの噂が広まり、旧式車両の台枠を再利用していて難燃対策が取りにくい多くの食堂車が廃車になってしまい、新幹線や新製車両の特急車を除いて連結されなくなってしまった為、機会がなかったからだ。

私の食堂車体験で一番多いのは、就職後の一時期堺筋の本社に勤務し、偶に実家へ戻る新幹線で度々食事をした事で常に細い通路に順番待ちの客が並ぶ中で、そそくさと食べて後続の人に席を空ける事が殆どで、内田百閒氏のように呑んだくれたまま、浜松から大津辺りまで居座るなどと言う不謹慎な事は到底許されなかった。

食堂の運営は日本食堂がほぼ全国区で受託していたらしいが、新幹線では都ホテルや帝国ホテルも請け負って味を競っていた。私は帝国ホテルが好みだった。

ちょっと横道だけど思い出したから書いておくと、長距離列車に乗ると車内販売が必ず乗車して適宜食料や飲料を売り歩いていたが、地域格差が極めて大きかった。

一番顕著だったのは、大阪を境に同じ値段でも質が格段に向上した記憶がある。

流石食道楽と言うだけの事はあって、幕の内弁当でも大阪以西の方が格段に美味しいし安い。この現象は新幹線でも引き継がれていたから、空きっ腹でも大阪からの売り子が来るのを待って買った記憶がある。

今は何とかパッセンジャーと称する鉄道会社直系の会社が独占で車販をしてるようだけれど、適性な競争原理が働かず、大阪人のサービス心旺盛な気持ちの良い買い物をする楽しみが無くなってしまった。

現代では、出来うる限り構内で買わずに近傍のコンビニで買った方がマシになってしまって旅の楽しみも半減。できれば我慢してでもご当地の食堂でも訪ねようと言う気になってしまうのは誠に残念だ。

最近は、再び走る列車で食を楽しむ事を目指してごく一部の列車で豪華な食事を提供しているが、とても庶民の手の届く額でなく私などバカバカしくて一度も利用していない。食にも環境にも分相応があって、一線を超えれば成金の世界。庶民の私が踏み込める世界ではない。

そんな事で、当時の食堂車のメニューを時刻表からスキャンして見た。

70年台に長距離旅行した人は、少なからず利用体験のある懐かしい食堂車の想い出。

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何と握り寿司や日本そばのメニューがあった。水菓子が時価なのは、内田百閒氏の時代から変わってない。

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充分使えるマシ35型食堂車。廃車の表記が痛々しい。五稜郭にて

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同じ車両の反対通路側