列車愛称のこと
昭和30年代後半から40年代の頃は全国に数多くの愛称がついた列車が走っていた。特急は元より急行や準急には全て愛称がついていたし、季節の臨時列車にも付けられたものもあった。
一つは乗客の乗り間違い防止や列車の識別、指定券販売の為席を特定させる事等々の理由があって付けられたと思う。
利用者の沿線を走る列車の愛称は、日常生活に入り込み使われただけに親しみを覚える名称が、当時を知る人それぞれにあるだろう。
ご贔屓の愛称が消えてしまうと、何となく寂しい気持ちになるのは、私だけでは無いと思う。一方で好きだった愛称が、自分の知る線区では無い地域で再び使われると、何となく違和感を感じたりもする。
最近の例では、長らく東京と九州を結んでいたブルートレイン特急だった「はやぶさ」が廃止になり、その記憶が薄れる前に東北新幹線に転用された時には、何となく、しっくりしない感覚が残った。
列車愛称は、コンピュータ管理による座席指定運用と関連して何度か変遷を遂げている。そして愛称の使い回しも、数多くの事例が残っていて、時代の変遷全てを記憶してる人は少ないと思われる。
だから、私が遭遇して、何となく愛着があったり記憶に残る愛称に出会うと、嬉しくなる。列車の写真を撮るのに夢中で、周りに溢れていた愛称をきちんと記録しておかなかった事は返す返すも残念でならない。
せめて、当時の一時期の記録として時刻表を自炊して記録に残しておく事にした。
現代は何でもネットで調べれば情報は得られるけれど、自分が接した記憶の記録は、事実と違ってるかも知れないが、愛着は強い。
熱海方面へ出かける時電車ばかりの中で走っていた「客車準急いでゆ」、いつも混んでた急行アルプスの影で空いていた「たてしな」などなど、とうの昔に消えてしまった愛称が懐かしく思い出される。
詳しいデータへのリンク
急行那智 伊勢との2階建てで紀勢本線へ。 東京駅 当時は一両ずつサボと呼ばれる鉄板を人力で入れていた。 電光掲示板しか知らぬ若者はびっくりだろう。
急行電車にもヘッドマーク 二つ折り架替方式 いこま と なにわ
少ない特急を補完する俊足急行列車だった。
花形路線の東海道、山陽本線の優等列車たち。1965年8月時刻表