semai92117’s diary

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都電銀座線

都心の中心地銀座4丁目の交差点を走る都電銀座線は、1967年12月9日に廃止された。車の走行に邪魔で危険であるとの理由だった。

この日は偶然にも母が属していたアマチュア合唱団の定期公演を聴きに出かける用があったので、最後の日を見に出掛けた。

当時は現代のように何かが終わると言うと黒山のような人が集まり警備員が出動すると言うような騒ぎは起こらず静かなものだったが、この時は沿線に驚くほど人が集まって見送っていたのが強く印象に残っている。

鉄チャンだけでなく、庶民の足として多くの人が別れを惜しんでいたのだと思った。

私が見た時は、乗車する人で長い列が道路の真ん中に出来て、警官が出て交通整理をする程の人出だった。

東京だけでなく、自動車の増加は全国各地で細々と走っていた路面電車の多くを駆逐してしまったが、皮肉な事にそれから半世紀も立たぬ内に見直され、今多くの都市で復活、あるいは新しく路線を作る動きが出てきている。

高齢化社会は、戦後のベビーブームで生まれた人達が高齢化して現出している。彼等が戦争で失われた労働力として高度成長を実現し邪魔になった昔の乗り物を排除したが、老齢になり車が使えなくなると、近所を走る路面電車が便利に見えてくる。丁度同じサイクルで消滅と復活が起こっている事も興味深い。

環境問題も勿論理由の一つかも知れないけれど、高齢者が運転する車が全国で暴走して死傷事故が頻発する事象を見ても、身近な乗り物で代替して高齢者の運転を止めさせる為の手段の一つとして町の中心部を走る路面電車の価値は大きいだろう。

慢性的な中心部の渋滞に悩む宇都宮市が新設しようと計画中である事は、今後他の地方都市へも波及するに違いないと思う。

しかし、何度も書いたように、線路を新しく敷設する事は膨大な費用と時間がかかる。願わくば、現在存在している線路は、例え廃線になろうとも、将来復活の可能性が皆無でない限りは路盤と共に残しておいて欲しいと思っている。

実際、都内を網の目のように走っていた都電の線路と路盤を存置したまま舗装した場所が僅かながらある。もし、復活させようとなったら、その区域は舗装を剥がすだけで、昔の鉄路が出てくる。レールを代える必要はあるが、新設するより簡単で早い。

都市計画は百年の計と言われる。目先の問題だけでなく将来を俯瞰したムダのない計画が強く望まれる。既存の設備を過去の邪魔物として壊す事が一番手っ取り早く簡単な事は承知してるが、これからの若い世代の方々には、従来のスクラップアンドビルド方式を今一度考えなおして見て欲しいと願っている。

欧州の主要な都市は超成熟都市だが、今だに日本の京都や奈良に代表されるような、躯体を残す更新建築が多数を占めている。翻って東京を初めとする地方都市では、相変わらず破壊と新造が主流だ。地震国だから基準が変わり古い建物は危険と言う思想が、全ての分野に浸透して、新しい事が安心や安全に必須と考える傾向が強い事は充分に理解できる。

だが、将来に亘って使える物まで無闇に壊してしまう事は無いだろう。新しい技術や知恵を集めて、末永く使う事も是非選択肢の一つに入れる社会になって欲しいと願う。

 

お別れ乗車に多くの人が詰めかけた。銀座4丁目電停

 

 

最終日は電飾をつけて走った。

 

車に埋もれて走る。 須田町交差点

 

 

こんな状態でも邪魔にされたのか新造車が勿体無い。神田にて