semai92117’s diary

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七飯 1969年

七飯は函館から札幌へ向かう列車が遭遇する最初の試練の場所。海沿いの函館から高原地帯にある大沼に向かって広大な上り坂がある場所だ。鉄道でも車でも北海道の広大な風景を目の当たりにする所で、私はこの景色を見て北海道に来た事を実感する。

函館に向かう車窓には、厳しい津軽海峡とは別世界のような穏やかな七飯浜が見えるが、この遠浅の海で強風に押し流された洞爺丸が横倒しになった惨事の現場でもある。

青函トンネルが出来る前の鉄道は、全て函館から連絡船で青森に渡る為に、広い北海道内の旅客も貨物も全部通過する場所に厳しい急坂が立ちはだかっている為、この地に新線を作って交通量を確保した。

藤城(代)新線と呼ばれて、急坂の続く区間だけ片側通行の複線にして混雑を軽減させた。勾配を緩和する為に、本線とは別ルートにした為に従来設置されていた駅を通らずに迂回した事が現代にも影響している。

待望の新幹線が函館まで通じたけれど、現在の終点の新函館北斗駅は、何とこの区間に作ってしまった為に、本当に一部だけの特例だが在来線の列車の中に新幹線の始発駅を通らない列車が存在する珍事が生まれている。

土地に余裕がある筈の北海道で、よりによって何故こんなややこしい場所に駅を作ったのか事情は不明だけれど、初めて訪れる観光客は新幹線の駅を通らぬ列車に間違えて乗ってしまったら、さぞかし驚くだろう。

坂が大の苦手な蒸気機関車にとっては、極めて有効な新線の完成で輸送量が飛躍的に拡大して物流に貢献した新線だが、将来電化され分散駆動が前提の電車が走ればお役御免になるのだろうと想像している。

交通量が多く、急坂のある場所は蒸気ファンには絶好の場所で煙を吹きあげて猛然とダッシュする機関車を目当てにでかけた想い出深い場所だ。

また、当時最強の機関車と言われたD52型が活躍する姿を頻繁に見れる場所でもあった。

 

 

猛然とスタートするD52

 

定数一杯の貨車を連ねて藤代新線へ

 

旅客連車も全力で煙を吹き上げる