御茶ノ水
都内には数多くの鉄道駅があるが、御茶ノ水駅ほど変化に満ちた地形に建つ駅は珍しい。何しろ神田川の護岸の擁壁にへばりつくように作られ、対岸は水道橋方から秋葉原方に向けて急な下り坂になっていて、視界が開けている。更に地下鉄丸ノ内線が護岸を突き破るように川面すれすれに神田川を渡る立体交差があって、中央線、総武線、丸ノ内線を画角に捉える事も可能なポイントがある。
そんな景色になる前、遥か昔の昭和7年7月に御茶ノ水と両国を結ぶ新線が落成した。
つい先日模様替えの為に古い書棚を移動した際に偶然先祖が関わった事が分る鉄道省の資料が出てきた。御茶ノ水両国間高架線建設概要と記された冊子の扉の内側に、開通前日の6月30日にお披露目する臨時列車への招待状が挟まれていた。
それまでの総武線は両国駅が起点で房総方面への列車は全て両国発着であったが、都心へ直接乗り入れて利便性向上を図る為に実施されたと言う。随分前から計画はあったらしいが、偶然にも関東大震災で東京が灰燼に帰し、その復興整備の一環として新線の建設が実行された事が記されていた。
それでも、御茶ノ水駅の狭隘な地形には難渋したらしく、更に既にあった中央線を短い距離で乗り越える為に33パーミルと言う急坂にし、すぐに道路を越える鉄橋へと続く線路の建設は大変だったろうと容易に想像がつく。当時の技術力で、よくぞ短期間で完成させたものだと、一翼を担った先祖の努力に少し誇らしい気持ちがした。
そんな事なぞ露ほども知らずに、ただここの風景に惹かれて何度も撮りに出掛けた場所だから、尚更驚いてしまった。人に歴史ありとは言い得て妙だと感じた。
地下鉄丸の内線とも立体交差
昭和7年資料より(表記は右から左へ)工事中の写真