semai92117’s diary

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2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

食堂車

新幹線網が拡大して鉄道の旅と言っても四時間乗ると言ったら、現代人の多数は飛行機で行けないかと考えるようになった。羽田と伊丹路線は今でも混雑していて三時間足らずでも空路を選ぶ人が多い事を物語っている。なにかと気ぜわしい時代になった。 1970年代…

三鷹 1966年

三鷹駅を通る中央線は、松本方面への列車と高尾(昔は浅川)までの通勤路線が同じ線路を走っていた。更に名古屋から多治見を経て松本へ至る路線も中央線だが、戦前のように中央線経由で新宿から名古屋行の列車は無く、全て松本、長野へのアクセスとなってい…

ブログデザイン

記事を書いてる途中で突然デザインが変わってしまった。 以前のデザインを残して置かなかったので、元に戻せなくなってしまった。意図した変更ではないのだが、見にくかったり、イメージを損ねてしまう事があったら、お詫びします。 時間を掛けてでも少しで…

炭礦鉄道 2

既に消滅してしまった炭礦鉄道で撮った記録を残して置く事にする。 私が訪ねた当時は既に廃止や閉山が決まった所も多く、車両や設備は荒廃していたし、廃車になって倉庫に放置された機関車も多数あった。 その殆どが解体され鉄屑となって消えてしまっている…

炭礦鉄道

つい先日全く偶然にBS放送で1997年に放送された夕張地区の炭礦鉄道の跡地を巡って歴史を振り返る番組が再放送されたのを見かけた。 最晩年の宮脇俊三氏が出演されていて驚いた。 廃止され既に相当の年月が経ち付近の様子も変貌を遂げているが、往時の記…

蒸気機関士

現代では鉄道車両を運転する人は運転士と呼称しているが、私が撮り鉄してる時代には、機関車とディーゼル車を運転する人は機関士、電車は運転士と言っていた記憶がある。蒸気機関車は、走行を機関士が担当して、給炭をはじめとするその他一切を助手が担当し…

タブレット

今タブレットと言ったら、皆さん携帯型パソコンかスマホを連想するだろうが、私のような旧型テツオは、単線で列車の行き違いに必要な通行許可鍵を連想する。 原始的な保安システムで、単線の線路をある区間に分断して、その区間を通れる列車を、通行許可鍵を…