semai92117’s diary

想い出の記録 掲載写真の著作権を留保しますので無断転用はお断りです

2017-01-01から1年間の記事一覧

お詫び

いつの間にか気づいたら 自分が意図した場所での段落取りが反映されずに機械的に改行されて 不適切な場所での改行やら段落表示になって 大変お見苦しい状態になっている。気づいて何度も編集を試みたが上手く行かず 結局諦めて読みにくいのを放置したまま記…

お一人様

母を送ってから、家族が気ままに過ごす日常を大切にしようと思い立った。 定年退職後に家事代行見習いとして訓練を受けて少しだけ分担できるようにして、思い思いの気ままな生活をしても負担にならぬようになって、安心して余暇を楽しむ環境ができた。 そん…

世代交代

記事更新が長い間滞ってしまったが、この間サポート切れのOSと決別すべく、悪戦苦闘していた。家族の分も含め自作で通していたけれど、XP終了後は技術革新が進み、部分的な更新が不可能となり、製品購入の方が自作より安い状況に変化してしまっていた。最後…

青函連絡船

今年に入ってすぐの頃、ふとしたきっかけで東洋経済の「北海道新幹線4時間の壁を超えられるか」と言う記事を見かけた。 現在は函館郊外の新北斗なる駅まで暫定開業しているが、最終目的地は札幌で延伸工事が進められている。将来全線開業に向けて解決すべき…

呉線に残った大型蒸気機関車

関東人にとって大阪以西は現代の感覚より遥かに遠い地域だった。大阪迄だって夜行でたっぷり一晩掛かっていた時代。東京からは、九州方面行の列車は概ね午前中に発車して大阪は真夜中で岡山を過ぎた辺りでようやく朝を迎える。何より学生の特権の学割でも交…

米原 1968年

東海道線の米原駅は、北陸本線と東海道本線の分岐点だった。敦賀から青森へ達する裏日本縦貫線(現在はマスコミの言葉狩りで裏日本は禁止らしい)と、東海道の大動脈が分岐する交通の要衝であった。 現在は湖西線が出来て、大阪京都方面からは湖西経由で、東…

八王子機関区 1967年

八王子は鎌倉街道に象徴される古来からの交通の要衝地。明治以降は絹製品の集散地として繁栄したのも、その立地に由来したのだろう。周辺には多数の古戦場や城址が残り、歴史を今に伝えている。 人の往来に合わせて主要な街道沿いに鉄道は建設されたから、初…

七飯 1969年

七飯は函館から札幌へ向かう列車が遭遇する最初の試練の場所。海沿いの函館から高原地帯にある大沼に向かって広大な上り坂がある場所だ。鉄道でも車でも北海道の広大な風景を目の当たりにする所で、私はこの景色を見て北海道に来た事を実感する。 函館に向か…

総武本線1967年

総武線は東京から千葉で別れて東京湾沿いの内房方面や佐倉、銚子など、外房方面に達する多彩な列車が走る幹線で、当時は総武本線と呼称されていた。 また、中央線の中野駅を起点として御茶ノ水まで中央線と並走している通勤通学路線も両国から千葉までは一緒…

八高線 1967年

八高線は文字通り東京の八王子と群馬県高崎(倉賀野)を結ぶローカル線だが、首都圏を迂回して関東北部に連絡する物資輸送の幹線だった。また奥多摩から産出する石灰岩と製品としてのセメントを運ぶ路線でもあって、旅客より貨物列車が多い路線で、当時は頻…

雪との戦い

昨年山梨県で記録的な降雪があって、中央線が数日に亘って不通となってしまった。 その時のJR東日本の釈明が、除雪車不足と言う理由だった事に驚いてしまった。 確かに異例の積雪量であろうが、お隣の長野北部には豪雪地帯が数多くあるし、北は青森から山形…