総武本線1967年
総武線は東京から千葉で別れて東京湾沿いの内房方面や佐倉、銚子など、外房方面に達する多彩な列車が走る幹線で、当時は総武本線と呼称されていた。
また、中央線の中野駅を起点として御茶ノ水まで中央線と並走している通勤通学路線も両国から千葉までは一緒なので、こちらは総武線と呼ばれていた。
本線の方は、館山や銚子方面に向かう列車で、一部を除いて両国が起点だった。
内房も外房も首都圏から近い格好の海水浴地なので、毎年夏には多数の臨時列車が運転されていた。
房総半島には、鉄道網が複雑に張り巡らされていたが千葉から先は全部非電化単線のローカル線で一部の優等列車以外はまだ蒸気機関車が牽引する客車列車が残っていた。
当時の資料を見てみると、佐倉機関区にC57型11輛、C58型21輛と86型5輛在籍し、都心に近い新小岩機関区には、C57型6輛、C58型7輛、D51型10輛が在籍して各路線を受け持っていた。
今はコンビナートがあってコンクリートと巨大な配管が視界を埋め尽くす内房の姉ヶ崎は、潮干狩りの有名地で地元では採れたあさりのむき身を串に刺し天日干ししてから、天ぷらにした産物を名物にしていたが、貝嫌いの私でも美味しく食べた記憶がある。
書いていて、そう言えば最近は影も形も見なくなったと思ったら、とたんに食べたくなって来た。目の前の海が浚渫され巨大なタンカーが出入りする海になってしまったから、串あさりも出来なくなってしまったのだろう。
1967年の夏の臨時列車運転も、そろそろ無煙化政策によって蒸気列車が廃止されるとの
噂を聞いて、両国から新小岩界隈で写真を撮った。鉄では「海水浴臨」と呼ばれた臨時列車は、車両こそ旧型だが快速で好評だった。
何故か快速なのに、かつて山陽道の花形特急だった「かもめ」の愛称まで付けられた特別な臨時列車が想い出に残っている。
海水浴臨かもめ号8月11日新小岩付近
最後尾に「かもめ」のテールマーク