semai92117’s diary

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世界初 寝台電車

寝ようとしても周りが騒がしいと眠れない人が多い。だから鉄道の寝台車と言えば客車と言うのが世界の標準だった。しかし客車列車は速度が遅い。せっかちな日本人は、何と世界初の寝台電車を作って大阪から九州方面の夜行列車に投入した。このせっかちが幸いしたのか、国鉄の防音対策が効を奏したのか極めて好評だったので、増備型が作られて中古が定番だった青森方面に新車が配備された。

九州方面への世界初の電車寝台列車は、愛称が月光と名付けられたのに因んで月光型と呼ばれた。

当時普通寝台は三段式が標準だったので、この電車も三段だが欲張って昼間は通常の客車として使えるように線路方向に平行に寝台がセットされた。従来の客車寝台は、線路と直角に三段だから丸い屋根の頂点まで使えるが、平行だと頂点部は通路になる為、高さが確保できず、寝台セット時に座高分の高さを確保できなかった。起き上がって服を着る事は不可能で、寝たまま服を着ると言う、決して良い環境とは言えなかった。

因みにグリーン寝台も線路と平行に寝る方式が標準だが、上下二段なので充分な高さが確保されていた。

そんな電車だが、最高運転速度130キロの俊足で従来の客車より早く着ける事はのんびりした東北方面でも好評だった。実は出発から到着までの時間は、経営効率に多大な影響がある。分り易いのは、昔の九州連絡の列車で24時間以上掛かる列車が多かった。例えば11時発翌日13時着の列車だと、終着の前に翌日の発車時刻が到来するから、全く同じ名前、編成の列車が必要になる。長距離を走る列車の宿命だけど、コストが嵩む。従来の寝台車はヒルネと言って昼間も寝台のまま座席車として遠慮しながら使ったが、この電車は下段の寝台だけソファとして使うが、後は全部収納して通常の座席車として使うよう設計して、昼夜無関係に使用された。その為回転率が飛躍的に向上し効率が上がった。1968年に同好の会でこの初物が公開されたので、興味深々で見学に出掛けた。運用前の訓練期間中の公開だった。

 

隣に写る旧型電車との対比で、新製当時の様子が良く分かる。東北本線常磐線経由青森まで、はくつるゆうづるの愛称で毎日運転された。