semai92117’s diary

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急行ニセコ

1967年頃蒸気機関車を撮りに出掛けた当時、急行ニセコは函館と札幌を函館本線経由で結ぶ急行列車だった。函館と札幌を結ぶルートは2つあって、長万部から倶知安、小樽を経由して札幌に至る函館本線経由と、洞爺、東室蘭、苫小牧、千歳を経由して札幌へ至るルート。こちらは千歳線経由と呼ばれていた。小樽経由より急坂や急カーブが少ない為距離は長いが時間は短縮できた為、千歳線周りの列車の方が多かった。

沿線に洞爺湖登別温泉支笏湖等の観光地が多かった事も一因だろうが、何より速達化を目指す経営方針が要因だろう。

その厳しいルートを走るニセコは、長万部から小樽まで最大の蒸気であるC62型の重連で走るから、ファンには人気があった。

何事も良い事ずくめでなく、札幌行の長万部発時間が17時間近なので、日没時間が早い北海道の冬季では、よほどの好天でも露出が厳しい時間なのだ。

何度かニセコ撮影を挑戦したが、長万部出発を狙ったのは一度だけ。後は確実に撮れる走行写真に向いた撮影地を選んだ。

小樽周りは山線と呼ばれる程峻険で厳しい環境が余程嫌われた為、衰退を続けて現在では小樽と長万部の間ですら直通で走る列車が一日にたった3本と言う超ローカル線になってしまった。沿線で優美な姿を見せる蝦夷富士も泣いているだろう。

以前洞爺のすぐ近くにある有珠山が噴火して札幌と函館の大動脈が分断された事があったが、その時ですら山線は活用されなかった。と言うより現実には活用できなかった。

単線で山越えをする路線では、一定区間毎に列車がすれ違える設備が必要になるが、その設備を殆ど廃棄してしまった為に活用できなかったのだ。

経営の効率化は重要な課題だけれど、公共交通機関は輸送の確保を社会的使命として負っているから、もう少し何とかして欲しかった。旅客はバス代行で何とかなるけど、北海道は日本の食を担う大切な産地。貨物輸送では大いに困窮しただろう。

近年線路補修が必要な場所を大量に放置して事件になったが、北海道に限っては所謂上下分離方式、線路設備の保守管理は別組織で実施した方が、日本社会にとっても良いだろうと思う。

 

 

1967年12月 長万部にて