semai92117’s diary

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東京機関区

現代では、鉄道写真愛好家が増えた事もあって客寄せのイベントが各地で開催されたり、引退や復活と銘打って集客する事業が定着しているが、昔は全く無かった。鉄道好きは幼児体験として通過点では誰にでもあるが、中学生以上で趣味として定着する人は稀少な部類だったと思う。その為かどうか、学生証を提示して鉄研ですと申告すると、殆どの現場では付き添いも無しで入れてくれた。勿論頻繁に列車が通る本線には絶対近づくな、線路はできるだけ横断するな。横断時は指差し確認で安全確認を遵守せよと、厳しく指導は受けたが。自由な分子供心にも好意で入れてくれた人に迷惑は絶対掛けないと注意し緊張したのは、当然の事だ。

最近では、列車妨害や沿線住民の私有地を荒らしたりと犯罪まがいの迷惑行為で、社会から顰蹙を買う事件が度々発生して、自分は行ってもないけど、身が縮む思いがして、益々混雑するイベントを忌避する気持ちが強くなってしまう。

15年ほど前、仕事帰りの酒場で子持ちの若い同僚と飲んだ時に、偶々異口同音に「自分が未熟なので子供を躾ける資格が無い」と嘆いているのを聞いて、びっくりした。

子供は親が教えてあげないとどうして良いか分からない。ありのままの姿で、自分が思う通り、相方と相談しながら、生活の中で話してあげたら、それで良いのだよ。と言ったけれど、心の中では不安な気持ちで一杯になった。

良くも悪くも子は親しか見れない。その子に構えて教えなくても子は見てる。だからこそ、親になったら子に見られてると言う自覚で日々生活するのだ。と言ってしまったら、益々子供を作る事を避けたり、怖がったりするのだろう。でも、それが現実。

歳を重ねて、やっと親の行動や言動がふとしたきっかけで納得できたりするけれど、

そんな事若い人達に言ってみても、「そんなものか」で終わってしまうだろう。

だから、親は自分の思う通り子供に何でも教えて上げなくてはならない。

子供は自分の目で見て、そして自分で判断してる。反抗期には、親の事を全部否定する。そして、自分なりの考えで成長すると思う。間違った方向であってもだ。

だから、たとえ押し付けであっても、子供に、自分の思う通りの事を教えておくべきだと思う。それが躾だろう。最低でも良い事と悪い事、人に迷惑かけない。決まりは護る。程度までは親の責任だと思うのだが、若い人達はどう考えてるのだろう。

 

1965年頃の東京機関区。

山手線に久しぶりで出来る予定の新駅は、この跡地らしい。機関車が牽引する客車列車がほぼ絶滅して、こんな光景は無くなってしまった。