中央線 1964年
戦後の世の中が落ち着いて、少しづつ日常生活を取り戻すのにつれて、通勤ラッシュが深刻化していた。子供が朝の電車に乗る事は本人の力だけでは到底不可能で、周りに親切な大人の人が居て助けてもらえなければ乗ることは勿論、降りる事も出来なかった。
特に中央線の混雑は酷くて子供にとって鉄道は危険な乗り物だった。
国鉄も松本方面の列車と通勤電車が延々と同じ線路を走る中央線を何とかしようと手をつけたのが、中央線の複々線化だった。この工事は数期に分かれて中野と三鷹駅間が
完成し、その後延長区間である三鷹と立川駅間がつい先年やっと半分完成した。
正に、超長期間プロジェクトの第一歩である中野と荻窪駅間の高架化工事が昭和39年10月に完成した。
真ん中の2線が旧地上走行線で、外側2線が新しい高架線。今では左端は三鷹行の緩行線で右端は東京行の快速線。多くの工事人夫さんが作業を続ける中で開通した。
之によって、環七道路をせき止めていた踏切は無くなり渋滞も無くなった。