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semai92117’s diary

想い出の記録 掲載写真の著作権を留保しますので無断転用はお断りです

八高線 1967年

八高線は文字通り東京の八王子と群馬県高崎(倉賀野)を結ぶローカル線だが、首都圏を迂回して関東北部に連絡する物資輸送の幹線だった。また奥多摩から産出する石灰岩と製品としてのセメントを運ぶ路線でもあって、旅客より貨物列車が多い路線で、当時は頻繁に蒸気機関車牽引の貨物が見られる事から東京人には貴重な場所だった。八王子を出てすぐ横田飛行場があり、拝島で青梅線五日市線と接続していて昭島にあった中島飛行機の工場にも連絡しているから、戦前には重要な軍需輸送も担っていただろう。

因みに八王子からは、相模原、橋本を経由して横浜へ続く横浜線が戦車などを製造していた相模原工廠があるから、文字通り軍需物資輸送の大動脈だったろうと想像する。

戦後は物資輸送の需要が首都圏への輸送に変わり、武蔵野線が整備されて八高線は首都圏に取り残された非電化路線だったが、東北新幹線の沿線住民対策で埼京線が開通した時に川越線も一体化され電化したので一気にベットタウン化したおかげで、徐々に川越と八王子間の開発が進み、つい最近になってようやく電化された。現在の八高線は川越を境に電化と非電化に分かれて直通列車は無くなってしまった。

北海道や東北に遠征するより大分近い八高線は、私にとって絶好の撮影練習の場所であったが、当時の写真を見ると変貌が大きすぎて現在では過去の面影を見つける事は不可能なのが残念。

たった半世紀?前に蒸気機関車が頻繁に走っていたなんて、誰も思わないだろう。

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1967年7月 まだ副灯が着く前の207号機

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大宮から来た川越線の96 1967年7月

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腕木信号機が林立していた川越駅 1967年7月

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現在からは想像できない高麗川駅 1967年7月 広場は砂利敷き未舗装だった

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廃止の噂で川越線始発の蒸気旅客列車を撮ったが光量不足で失敗。1967年11月川越